追憶 ふるさと離れて

こんにちは、熊谷墓園石材部の齋藤です。今回の表題は、埼玉県在住のある男性、Yさん(64)が自らの体験からくる67編の詩と手記を収録し、埼玉新聞社から自費出版した本のタイトルです。

もちろん非売品のため書店などで購入することは出来ませんが、私は1人で3冊持っています。なぜなら直接本人から手渡しで頂いたからです。

そもそもこの方が自費出版してまで本を出版するに至った経緯は、自らが体験した東京電力福島第一原発事故に起因します。当時このYさんは東電の関連企業に勤め、大震災前は派遣社員として東電柏崎刈羽原原発に単身赴任していました。休暇中に福島県双葉町の自宅で原発事故に遭い、妻子を連れて埼玉県加須市へ避難しました。

閉校した騎西高校旧校舎で避難所生活は、家族ごとにスペースはあるものの、布団や家具が所狭しと並び、カラーボックスや茶箪笥でプライバシーを守るため衝立代わりにするも、テレビの音はもちろん新聞をめくる音まで聞こえる、何もかも筒抜けの毎日。

プライバシーのない生活が一番つらかったと、Yさんがため息をついていました。

また、一緒に避難した義理の母が、何度も何度も「帰りたい」「双葉町へ帰りたい」と漏らしながら逝ってしまったこと。骨になってしまったけれど、一時帰宅が出来た際帰りたかった双葉町のお墓へ埋葬してあげたそうです。

60を過ぎて味わう、未知の地で襲われた混乱、絶望、無力感。亡くなった義理の母のこと。故郷双葉町のこと。何よりも先が見えない苦しみ。そんな思いがぐるぐる巡り、避難所の消灯時間の10時になっても一向に寝付けない毎日。そんな時、知人から「詩でも書いてみたら」との言葉がキッカケとなり、どうせ寝付けないならとぐるぐる巡る思いを、ペンにしたためてみようと、小さなライトを頼りにノートに書き始めたのが、今回の始まりだったようです。

自らの心と向き合い、押しつぶされそうになりながらもしたためた詩と手記は250編余りにもなりました。その中から厳選した今回の自費出版本。「子どもが生まれたようだね」と、納品された本を初めてその手に取った時、手でそっとなぞったのは、本の向こう側にある、あの日の「追憶」。一言では言い表せない複雑な思いが形になった瞬間でした。

収録作品の中で、最後の日付になる手記「人間の本性と感謝」に、こう書かれています。

「私たちは多くの人たちに支えられてここまで来たことを決して忘れてはいけないし、感謝の念を持って活きるべきであり、できれば何かの形で恩返ししたいものである。プライドを持った以前の『双葉人』に帰還しようではないか。」と。

現在、Yさんは家族とともに避難所を退去し、羽生市内の住宅に身を移しています。引越しのとき自らの「追憶」を片手に、「双葉町からきました。よろしくお願いします。」と、積極的に近所の人たちに挨拶していくその姿には、加須市の避難所生活時代に味わった絶望感と無力感は微塵もなかったことだと思います。

何せ、私にこの「追憶」を手渡してくれたYさんの顔は、『双葉人』として、誇らしげに輝いていたからです。とは言っても私はYさんのご近所の羽生市民ではないですけどね。Yさんとは店で知り合ったのです。

今年1月に、当店で久しぶりに埼玉エリアに向けてチラシを入れました。そのチラシを見たYさんが、はるばる工事中の為しょっちゅう渋滞する122の橋を越えて、私の店まで仏壇を買いに来てくれたのがキッカケという訳です。

来店時に1冊。仏壇納品時になぜか2冊。Yさんの「追憶」は私の中で3倍になってあふれています。ありがとうございます!

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